青くて痛くて脆いは「大学生の苦悩」を表す傑作だった【住野よる】
クラスで一番の成績を取るとか、部活で絶対に全国大会に出場するとか。
大きな夢や理想だけをバカバカと吠える奴がいます。そういうタイプは案外「飽きたから」というような理由にもならない理由で諦める事がありますよね。つまり、有言不実行が多いということです。
自分で言っていて、悲しくなってきました。そう、自分こそが有言不実行のイタイ奴。中学の時も、高校の時も、見た目だけカッコいい言葉ばかりを並べて、自分に酔っていたように思います。
結局夢は叶えられず、理想は儚く散りました。
今思い出すだけでもイタイ奴だし、滑稽。自分でもそう思うくらいだから、周りから見ても酷くカッコ悪かったんだなと思います。そう思うだけで恥ずかしくなってきました。こういう昔の「青くて痛い」思い出はなかなか消えそうにないみたいです。
理想を語るやつをイタイと思う時
例えば自分がプロのテニス選手になろうとしたときに、必ずこういうことを言ってくる輩がいます。
「どうせお前には無理だ、できるはずがない」
「できもしない癖によくそんなことを言えるな」
「そんなにプロの世界は甘くない」
こういう言葉で他人の理想や夢を潰そうとしてきます。きっと、彼らにとって夢や希望を語る人が「痛く」見えるのでしょう。「痛い」とは「恥ずかしい」という事だと自分は勝手に解釈しています。自分が青春時代に味わった恥ずかしさ。今思い出すだけでも恥ずかしくなってくるあの恥ずかしさ。
きっと、自分が感じたように夢や理想だけを掲げる人は「恥ずかしい」のだと思います。だから、イタイ奴だと、思われるのだと思います。
だけど、読んでいて思ったことがありました。それは、なぜ夢や理想を掲げる人が恥ずかしく見えるのだということです。目立つからなのでしょうか?それともリスクがあるのに大口をたたく馬鹿な奴と思われるからでしょうか?
それもあると思ったけど、この本を読んでいて違うんだなと感じました。
人を見ていてイタイと思うとき、その人のことを恥ずかしいと思うのではな、「自分の過去を恥ずかしい」と思うことなのかもしれないと感じました。そしてその時理想を語る人を羨ましく思っていて、後悔している。それは、自分に思い当たる節がたくさんあるので、かなり説得力があって自分で納得しました。
能力もないのに「俺は株で生きていく」「Youtuberになる」と言った人がいました。それを聞いた時にこいつはイタイ奴だと少なからず思った記憶があります。その人のためにならないことは言わないでおこうと思ったからその夢を反対したりはしませんでしたが。
でもその時に「イタイ」と思ったと同時に、昔の自分を見ているようで「恥ずかしい」と思いました。その人のことを恥ずかしいと思ったし、昔の自分を思い出して恥ずかしいと思いました。バカみたいな夢を語っていた自分に。
他人をイタイと思うのは、イタイと思う人にもイタイ時期があったからだと思います。そして、他人の夢を潰そうとしてくる人ほど、自分の過去に未練を持っていて、夢や理想を叶えられずに諦め、他人の夢を批判することでしか過去の自分の傷を癒すことができないのだと感じました。
他人をイタイ奴とするとき、自分のイタイ過去を批判しているのと同じであると感じました。過去の自分をなかったことにしたり、間違っていたと否定したりすることで自我を保っているのだと。自分は他人をイタイ奴だと思うときそのような感情があったことをこの本を読んで感じました。というより思い出しました。街中で馬鹿みたいに騒ぐ高校生を見ると「イタイなぁ」と思うけれど同時に羨ましくも思った記憶。それは、もっと馬鹿をしたかった過去への未練であるとも思います。
誰しも「痛い時期」は持っていて、他人の痛い時期を見てどう思うのか。それは見る人自身の過去の痛い時期を受け入れるかどうか、で変わってくると思う。それは暴力のような形となって生まれ出るのが悲しいとも思いました。他人の夢を暴言で批判したり、自分の子にスパルタ教育を施したり。
一概には言えないが、他人をイタイと思うとき自分もイタイのだと感じました。自分の過去を思い出して恥ずかしくなったり、後悔したり、他人を羨ましく思ったり。
主人公「田畑楓」も、理想を語る秋好寿乃をイタイ奴だと思った時に自分の過去を公開していることが読み取れる部分があるので紹介したいと思います。
「全員がいっせいに銃を降ろすような理由があれば明日、戦争が終わる」
そんなこと言ってたな、お前。
痛い、痛い痛い痛い、理想論。
「だから何かを変えるのに間に合わないことなんて一つもない」
やめてくれ。
痛い痛い痛い。
胸の奥が、痛い。
「・・・まだ間に合う、っていうのかよ」
僕のこの、三年間の意味も。
何を間に合わせるっていうんだろう。
田畑楓が戦争がなくなればいいなと思っていたかどうかは定かではないが、理想論を掲げる人を痛いと思うと同時に、理想を叶えられなかった自分を後悔していることが読み取れます。失った三年間を後悔している。
主人公田畑が理想を叶えられなかったので、その理想を叶えるために奮闘する姿をぜひ本書を読んで確かめてほしいと思います。
「陶酔」について
この本では、しょっちゅう「陶酔」という言葉が出てきます。陶酔というのは酔ったりすることだが、もちろんこの本はお酒を飲んでいい感じに酔った~というような内容ではないので、「自己陶酔」つまり自分に酔っているという意味で陶酔という言葉が出てきています。この陶酔という言葉も、人間をうまく表現しているように感じました。
自己陶酔=ナルシシズムです。自己陶酔の人は、自己陶酔していることにすら築いていません。文字通り、酔っている。意識がほとんどないのが自己陶酔の危ないところでもあると思います。
だが、自己陶酔は危ない病気のようにとらえられるべきではなく、誰にでも備わっているものであるという認識であるべきです。極端な話でいえば、「あいつ自分に酔ってるよな」と言っている人も他社を見下し自分に酔っているという捉え方もできます。生きている限り、自分が一番かわいいのは仕方ない。そして、この作品では「就活」を話に入れることで上手く表現しているなと感じました。
就活は他社との競争です。就活では自分のストロングポイントを挙げて、それが他社よりも優れているとアピールしなくてはいけません。そうすると、他社よりも優れるために、自分が優れた人間であると勘違いしなければいけないのでしょう、自己陶酔が始まるパターンがあります。
就活の時期にはこれが顕著に表れると思っています。自己陶酔に現れるパターンとして、虚言癖になったり、悲劇のヒロインのような振る舞いをしたり。自分が優れていると勘違いしたり、上手くいかないと周りのせいにしたりするパターンもあります。この本では、社会人とのコネを作るために活動している団体が出てきます。彼らは意識高い系で、自分に酔っている団体だと思われて馬鹿にされています。自己陶酔している集団だと馬鹿にされています。ですが、きっと馬鹿にしている人たちも自己陶酔しているのでしょう。
登場人物たちが他人をバカにしている様子も、この本では描かれているので読んで楽しんでみてください。
被害者と加害者
この本での見どころは、もう一つあって「加害者と被害者の関係」です。加害者と被害者の関係が、本書ではあるのですが、これも作者の考え方がよく出ています。
僕はこの本の加害者と被害者の関係について書かれている部分を読んで、昔友達と些細なことで喧嘩してしまったことを思い出しました。友達が冗談半分でいじってきたのに対し、自分は真に受けてしまって本気で怒ってしまったことです。その時は自分にプライドがあり、自分が傷つくことが嫌だったので自己防衛しようとするのでしょうね、その友達を思いっきり罵倒してしまいました。
自分を守るために他人を傷つける、これは誰にでも一度はある経験かと思われます。そして、僕もその状況に陥り、友達と仲が悪くなってしまいました。いくらか時間がたった後に、「自分はなんてことをしてしまったのだ」と後悔するようになりました。そんなことを思い出しながら読んでいました。というのは、昔の僕の友達とのエピソードと、この本に出てくる友達同士の喧嘩が似ていると思ったからです。友だちと喧嘩した後の後悔。これが上手く表現されているなと思います。
これも一つの見どころなので注意しながら読んでもらえると、魅力を楽しんでもらえると思います。
最後に
この本は、大学生には読んでほしいと思いました。住野よる先生はもう社会人なのに、大学生の気持ちをうまく表現しています。きっと、彼も同じような経験があったのでしょうか。理想を語り自己陶酔し、自分を守るために他人を傷つける・・・
この「青くて痛くて脆い」時期が表現されているのがこの作品です。僕は読んでいてかなり共感できたためか、住野よる先生の伝えたいことが分かった気がします。この本は自己陶酔に陥ってしまったりする人間を非難している作品ではないと思いました。理想を語る人間をバカにしているような作品にも見えませんでした。そこは定かではありませんが、住野よる先生の(おそらく)考えが、登場人物のセリフに濃く出ているので、そこも楽しみながら読んでもらえるといいかと思います。ストーリーの内容には触れないようにしてきましたが、はっきり言ってよい内容でした。というのは当たり前ですね。(笑)
ストーリーや登場人物の考えなどが面白いので、よかったら、特に大学生には読んでほしい一冊です。
大学生のモヤモヤを上手く代弁しているような作品です。
それでは('ω')ノ