「永遠にさようなら」バイト先がつぶれた話
こんにちは。いもけんぴです。
私事ではありますが、先日バイト先が潰れてしまいました。
カラオケ店で働いていて、このバイト先では楽しい思い出がたくさんありました。去年から働き始めて、ほぼ1年が経とうとし、バイトにもだんだんと慣れてきたところでした。そのため、バイト先が潰れるということはなかなかにショックなことでした。
でも、正直つぶれることは予測してもいました。もしかしたらこのままだとつぶれてしまうのではないだろうかという不安もありました。というのは、僕の働いていたバイト先は夜の売り上げが圧倒的に低く、夜に店を開いていてもお客さんが来ないような状況でした。
ひどい時は1日の売り上げが4万5千円。そのうち昼で売り上げたのが4万3千円、夜で売り上げたのが「2千円」というような日もありました。その日の人件費だけで3万6千円。マジ自殺レベルで草も生えない
店長が言うには目標売上を達成できていない日のほうが多いらしく、他店と比べてもかなり足を引っ張っているようでした。立地は駅から遠いし、周りに人が集まるような場所もありません。店の前には無駄に広い駐車場に、車がぽつりぽつりと止まっているのがここ最近では普通でした。
だから、なんとなくわかってもいました。ここはいつか潰れるのだと。
従業員同士でも
「今日も相変わらず暇だな~」
「いつかこれ潰れるんじゃねwww」
という会話をしてたんですけど、
本当に潰れました
店が潰れる=解散を意味する
突然ですが、「ホームレス中学生」を読んだことはありますか?ちょうど10年位前だったか、爆発的に売れたベストセラーの本です。お笑い芸人の麒麟の田村さんの壮絶な人生を描いた本です。
ホームレス中学生は、題名の通り中学生の時に田村さんがホームレスになるという話(実話)です。ある日突然、親に呼び出されて家族会議が始まります。そこで、一言、「家がなくなるのでこの家族は解散です。みんな強く生きてください」
と言われて家族が解散するというところから始まる物語。(気になる方は読んでみてください。ここではホームれる中学生で例えたかったので内容は割愛します)
僕は店があと2週間ほどでつぶれるかもしれないから、覚悟しといてくれと解雇通知の紙をもらった時、自分の中の居場所が音を立てて崩れていくような感覚がしました。ホームレス中学生でお父さんがいう「解散!」というセリフが印象に残っていますが、本当にそんな感じでした。
「えっ?何言ってんの?」という感じです。
バイト先の人がみんなよかったので、バイト先の人に親しみを僕は抱いていました。だから余計、こんな形で終わりが来るなんて予想はしていたけどそれが現実となるとちょっときついものがありました。
だから、次第に「家族」にも似た感情を抱くことがあります。笑ったりふざけあったりン課したり・・・本当の家族ではないですが一緒にいて楽しい、もっと一緒にいたいという感情を持った時、家族にも似た存在になるのだと思います。それが「バイト先」でした。
卒業式で泣いてしまう感情もそれに近いのかなと思います。だから、卒業式には喪失感があるのだと思います。人によっては家族を失うことに匹敵するくらい寂しいことなのかなと思います。
バイト先が潰れるから泣く、ということはもちろんないですが、胸にぽっかりと穴が開いたような気はしました。もうここでバイトすることができないのか、と思ったからです。バイト先の仲間は本当にいい人ばかりで、僕に優しく接してくれたし、仕事ができない頃は丁寧に教えてくれたし、僕の話を楽しそうに聞いてくれた。
そんな人と過ごしていたのに、バイト先が潰れるともう他人になってしまうのかなと思うと寂しくなりました。今まで仲良くやってこれたのはバイト先という場所があったからの気がします。場所を失ったら、みんな散り散りになってしまうのだろうなぁと思いました。これから二度とクラス全員が集まることはない・・・みたいな感じです。
店を解体している時が一番つらかったかも
店が潰れるので当然店をつぶさなくてはいけません。店をつぶすために僕たちは店の掃除をしたり、カラオケの機材などを外に運び出したりしていました。各部屋のいすなどもすべて出して、全ての部屋を空っぽにしていきます。
空っぽになった部屋を見た時は、「本当にこの店潰れるんだな」と実感しました。
掃除の休憩中に掃除の様子を写真に撮りました
儚い
このようにしてすべての荷物を外に出していきました。この後どこが買い取るなどの話はなかったので、一度すべてをぶち壊すそうです。すべての壁を取り払って、きれいさっぱりにするそうです。働いてきた記憶は残りますが、記録はなくなります。バイト先を卒業した後、OBとして戻ることはありません。つまり、僕は帰る場所を失ったのです。
何より、潰れるという実感がそこまで沸いていなかったのに、心の準備もできていなかったのに、気持ちがまとまらないまま自分で潰れる店の掃除の手伝いとするというのはつらかったです。自分で手を下しているような感覚で、そこまで潰れることをどこか嘘だと思っていたのですが目を背けずにはいられませんでした。
つぶしたくないと思いながら自分の手でつぶしていくのはちょっとしんどかったです
もう1週間もすれば、跡形もなく消えるのでしょう。
別れは一瞬であっけないと思った
出会ってからこんなに仲良くなったり遊んだり、人生の中で決して短いとは言えない年月を関わって過ごして、それで別れるときは一瞬。別れってそういうものなんだなという感覚を高校の卒業式ぶりに思い出しました。
店の片づけが終わってから、みんなで一言ずつ喋って、店長が最後に一本締めして終わり。最後まとめるためにそりゃ一本締めするだろうけど、「この現実を受け入れろ」と押し付けているようでした。一本締めをしても僕はモヤモヤしていました。このモヤモヤ感は今も消えていません。
他の皆はこの現実を受け入れて、次に向かっているのでしょうか。店長の最後にそれぞれの道を進んでくださいと言っていましたが、みんな「それぞれの道」を歩んでいくのでしょうか。それぞれの道、つまりそれは互いの道がつながらないことを意味しているのでしょう。
僕は小学校と中学校の時、卒業式で泣いたことはなかったし、そこまで卒業式がさみしいという認識はありませんでした。でも、高校3年生の時にクラスの委員長をやらしてもらって、クラスが家族のように愛着がわいたことがありました。そこで初めて、解散が寂しいことのように感じるようになりました。
でも、それでも僕も新しい道に向かって歩いていかなくてはいけません。他の皆はもうこの場所にはいないのだから。ぐずぐずしていても過去は帰ってきません。
仲間の従業員にこれからの事を聞いたら、次のバイト先が決まっている話や、次はこんなことをしてみたいという話をしていました。僕はまさかバイト先が潰れるとは、という気持ちでいっぱいだったので、これからの事を考える間もなく次のバイト先を探していませんでした。でもそれはきっとバイト先が潰れることを認めたくない現実逃避だったのかなと今では思います。
それでもやっぱり「もう二度と会えない」ことが受け入れられません。時間が経てばこの出来事にも気持ちの整理がつくのでしょうが、余韻が抜けません。まだ、僕の道を歩くのはできなさそうです。